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「一枚布を纏う -インド各地より」
2012年5月17日 - 8月18日

 初めてのインドで最初に出会った空港の女性職員が、ミリタリーカラーのカーキ色のサリー姿で対応してくれたのは忘れられない光景でした。街中では100%の女性がサリー姿でしたが農村では、サリーの布端を腰に折り込んだり、暑い時には頭に被って陽除けにし、何不自由なく一枚布を操っていました。漁師のおかみさんは、サリーの後裾を股下から前に引っ張り、ウエストに挟み、パンツの様にしてキビキビと働いていました。
 日本でも戦前は、大半の人が着物姿で、戦時中はモンペをはいたり、袖は襷掛けにして働きました。戦後は不自由な着物は一刻も早く脱ぎ捨て、欧米の便利な衣服を身に着けたいと、単純に思いました。一気に解放された女性の社会進出も、それに輪をかけ、欧米のファッションに追いつこうと簡単に伝統の衣装を脱ぎ捨ててしまいました。着物はあっという間に社会から消え婚礼等の特別な時のみに使われる様になりました。しかし、その頃のインドでは、逆に伝統の衣装を戦後こそ大切に、手工芸を復活させて、それを柱に立ち上がろうとしました。
 インドは染織の歴史の古い国ですが、ヒンドゥー教の教えで、縫製されない布は神聖な布とされていました。木綿を育糸に紡ぎ、色を染めて布に織る作業は、労のいる作業で、布そのものが大変貴重なものでありましたが、布に鋏を入れる行為は大切な布の生命を断つ事にも繋がると云う考えからではないかと思います。
 インドの軽やかな薄木綿地はローマ時代から王や貴族の衣装として珍重され、以後もカースト制度に支えられ17-18世紀にはピークに達し、ヨーロッパ、アジアの国々に輸出されました。また、サリーのバラエティは大変なもので、農村と都市部、南と北、西と東と各地で様々な異なる文様、織り方、染め方、刺繍等がありその多様性は世界に類を見ないものです。  ヒマラヤ山麓の高地、寒冷地に住む人々は自家製ウールの布を巻き付け、サリーの代わりにし、僻地に住む部族の人々は巾の狭いやや厚手の一枚布を身体に巻き付けています。衣の原点とサリーの魅力に迫ります。