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「母がつくった子供服 -インドから日本まで」
2016年4月7日 - 7月16日

 1983年、カッチ沙漠の果ての果て、地元のドライバーも行きたがらなかったイスラーム系の遊牧民、Jatの集落を訪れた。銃を肩にかけた男たちが突然の訪問客をいぶかって近づいて来た。刺繍の衣装と彼等の歌を収録したい旨を告げると、女たちの写真は絶対に撮ってはいけないと云われ、衣装だけでもと食い下がると渋々、子供だけなら良いと言ってくれた。鋭い目の監視の中、子供を撮るふりをして女たちを盗み撮りしていたが、彼等のつくった衣装は息が詰まるほど緻密でミラーが輝き、今までに見た他の村々とは、一線を画していた。脇の下のプリーツの美しさ、大人は同じデザインで黒地であった。忘れられない最初の母の手による子供服だったが、裸足姿は生活の厳しさがしのばれた。

 その後も沙漠の村々を訪ねると、違った子供服に出合ったが、圧巻はラバーリーの人々の余所者を入れない、幼児婚の儀式に友人と招かれた時に見た婚礼は、部族の身内だけの手料理と、集った子供たち、少年、少女の衣装はどれも、刺繍で厚く盛り上がった吉祥文ときらめくミラーで飾られていた。特に遊牧系の人々は、固有の衣装が眩しかった。

 その頃の日本は、戦後の困窮時代から脱却して古い物を捨て、西欧化にまっしぐらだったので、私の目には未だに針を捨てない彼等の暮らしは、自分たちの昔の姿を見る様で、とても新鮮だった。興味は隣国のパキスタン、アフガニスタン、そして中近東に及び、どこの国にも残されていた。宝物の様な衣装には、三角形のお守りや念入りな魔除け、日本の百徳着物の様なパッチワークの服もあり、‘90年代の中国少数部族を訪ねた時も、山間の地で藍染のピカピカの服を着た子供たちや刺繍の幼児服に驚かされた。

 しかし、2000年代を過ぎると、急速にアジアの国々も工業化が進み、みるみるうちに手作りの愛らしい服は消え去ってしまった。今回は改めて、母の手による子供服に、今は忘れ去られた多彩で豊かな母の想いを伝えたいと思う。